グラナダさんぽ

世界遺産 アルハンブラ宮殿の街

中世の小道【チノス坂】を散策しながらアルハンブラ宮殿を目指す。

 

アルハンブラ宮殿、アルバイシンの丘、サクロモンテの丘を結ぶ中世の小道 「チノス坂」Cuesta de los Chinos クエスタ・デ・ロス・チノス 。アルハンブラ宮殿へ徒歩でアクセスできる道の中で、最も豊かな自然と景色の美しさを堪能できる道です。

「チノス坂」

 

道のりマップ

 

アクセス方法と所要時間

街の中心部からのアクセスなら、サクロモンテの丘へと向かう川沿いの道「トゥリステス通り」の終点辺り。ダロ川に架かる小さな橋「アルヒビジョ橋」Puente del Aljibillo プエンテ・デル・アルヒビジョ を渡れば「チノス坂」のスタート。アルハンブラ宮殿のメインエントランス付近へと続くこの坂道は 約860m、所要時間は徒歩で約25分です。

「アルヒビジョ橋」

 

ホントの名前

「チノス坂」は一般的に呼ばれている通称名で、正式名称は「レイ・チコ坂」Cuesta del Rey Chico クエスタ・デル・レイ・チコRey Chico レイ・チコとは、キリスト教徒が呼んでいたイスラム・スペイン最後のスルタン Boabdil ボアブディル の異名「チコ王」のことです。

母親からの警告により、スルタンである父親から命を狙われたと知ったボアブディルが、街の反乱軍に加わって父親を廃位させるため、母親の助けを借りてこの道からアルバイシンの丘へ逃亡したという伝説エピソードが道の名前の由来だとか。道の入口にあるプレートには正式名称が表示されています。

「レイ・チコ坂」

 

アルハンブラ宮殿の最後の王

道の名称の由来となったスルタンは、キリスト教徒に降伏し、最後の砦であるアルハンブラ宮殿を戦わずして手放し、グラナダ王国を陥落させたボアブディル (ナスル王朝 ムハンマド12世)。「不運な王」という異名を持つ彼は、更に歌や書物によってスルタン時代の残虐行為がドラマチックに語り継がれたことで、悪評高い王でした。しかし、実際には物語には信憑性がなく、本来は穏やかで礼儀正しい人柄であったと言われています。戦わずして降伏を選んだことで、意気地なしと非難されたスルタンでしたが、勝利は不可能と悟った彼の決断は、民の生命、財産、宗教の尊重を条件として唯一民を守るための手段であり、平和的な解決だったという見解もあります。

また、ボアブディルは王位継承を待たず、実の父親との王位争いの上スルタンになりましたが、諸説の中には、夫の愛人に嫉妬した母親の策略だったのではという一説も。

民の命を救った優しい「不運な王」は、時代と運命に翻弄された「悲しき王」という側面もあったのかも知れません。真実など知る由もありませんが、何となく切ない情緒に浸ったならば、中世の旅の始まり、始まり。

 

散策スタート

ダロ川に架かる「アルヒビジョ橋」を渡り、白い民家の側を通り抜け、アルハンブラ宮殿とスルタンの夏の離宮と言われるエリア Generalife ヘネラリフェ を隔てた渓谷に入っていきます。

「チノス坂」の入り口

右側には水道橋や水車小屋の遺跡、そして壮大なアルハンブラ宮殿の北側の城壁が現れ、宮殿から放水された水の音が響き渡ります。

水道橋

アルハンブラ宮殿の城壁

ヘネラリフェの南側の果樹園がある左側にはバラテと呼ばれる様式の擁壁が見えてきます。

擁壁

坂道で最も急勾配な場所は石畳の階段で舗装されています。階段を上っていくと、だんだん街の喧噪から離れ、徐々に水音も静かになっていきます。写真撮影をしたり、犬と散歩したり、自転車で通ったり、散策を楽しむ人々が行き交います。

石畳の階段

振り返れば、アルバイシンの丘の白い家々の美しい景色。

アルバイシンの丘の景色

空を見上げながら歩を進めると、聳え立つアルハンブラの「ピコスの塔」が。

石畳の坂の終点「ピコスの塔」

石畳の坂を上り切ると、ピコスの塔の基部にある「鉄の門」に到着します。「鉄の門」は、アルハンブラ宮殿の外へと通じる門であった「アラバルの門」を防衛し、ピコスの塔を強化するための外堡で、レコンキスタ後にアルハンブラ宮殿の総督であったテンディジャ伯の命で建設されました。扉の上部には、カトリック両王の紋章の「くびき」と「矢」のモチーフが施されています。残念ながら現在は工事中。工事終了予定は昨年5月でしたが… これもスペインあるある。

「鉄の門」

20メートルくらい先の城壁には「カディの塔」があり、その向かい側にはヘネラリフェの古い入口があります。現在は閉まっていますが、20世紀中頃までは宮殿とヘネラリフェを繋ぐ唯一の出入口でした。

ヘネラリフェの出入口付近

かつてのスルタンたちが、しばし夏の疲れを癒しにやってきた通り道。入り口を覗いて、頭にターバンを巻き、モーロの衣装に煌めくマントを羽織った姿を見かけたら、それは休息を求めてやってきた王、ボアブディルかもしれません。なんて瞬間脳内タイムリープも散歩の醍醐味ですネ。

ヘネラリフェの出入口

道沿いの水路にはとめどなく水が流れて冷たい涼気を感じ、様々な岩石植物や芳香植物が道を彩ります。清い水と自然を求めてやってくる鳥たちの種類もまた様々。グラナダには300種類以上の野鳥の存在が確認されています。

城壁に沿って流れる水

ヘネラリフェ側からの放水

心地よい水音と鳥のさえずりのハーモニーを堪能していると、城壁にはカウティバの塔「囚われの塔」が現れます。14世紀にスルタンのユスフ1世が建設した邸宅で、様々な名で呼ばれてきた塔でしたが、15世紀ボアブディルの父ムーリー・ハーセンの愛妾であったキリスト教徒の捕虜 イサベル・デ・ソリスが、この塔に捕らわれていたという伝説にちなんで、19世紀からカウティバの塔「囚われの塔」と呼ばれるようになりました。後に二人は結婚し、イサベルは改宗して「ソラヤ」に改名。彼らは二人の息子に恵まれています。

カウティバの塔のすぐ先には、ラス・インファンタス塔「王女たちの塔」。ワシントン・アーヴィング著書「アルハンブラ物語」で三人の美しい王女の伝説に登場する塔です。

手前「囚われの塔」、奥「王女たちの塔」

更に道はカボの塔を通り過ぎると、2つのアーチが見えてきます。手前のアーチはアルハンブラ宮殿からヘネラリフェに繋がる歩道橋で、二番目のアーチは宮殿内に水を運んでいた古い水道橋です。

手前「歩道橋」、奥「水道橋」

アーチをくぐれば、いよいよゴール。散策お疲れ様でした。前方のレストランを通り抜ければ、バスの停留所があります。左折すればアルハンブラ宮殿のメインエントランス、右折すれば「車両の門」や「裁きの門」方面へと下ることができます。

レストラン「La Mimbre」ラ・ミンブレ

 

「チノス坂」の名前の由来

「レイ・チコ坂」は「チノス坂」と呼ばれる以前に、幾つか他の異名もありました。

  • 「水車の坂」Cuesta del Molino クエスタ・デル・モリーノ。ダロ川の流れを利用した水車が側にあったことから。 
  • 「死者の坂」Cuesta de los Muertos クエスタ・デ・ロス・ムエルトス。墓地への通り道であったことから。

チノス坂の「チノ」はスペイン語で Chino「小石」という意味があります。こうした異名を経て、20世紀初頭に舗石作業が行われてから、小石の坂「チノス坂」と呼ばれるようになったそうです。

他にも水路に沿ったこの坂をグラナダ出身の詩人であり劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカによって「水の坂」Cuesta del agua クエスタ・デル・アグア と名づけられたりもしています。美しい水のせせらぎが、この道を形成する重要なエッセンスであることが分かります。また、これほど多くの異名がつくということは、この道がいかに歴史的で貴重な道であるかも分かりますネ。

 

散策おススメタイム

アルハンブラ宮殿内はとにかく歩き続けて体力消耗しますので、宮殿を見学する予定のある方なら、行きよりも帰りのアクセスとして利用すると良いと思います。おススメは夕暮れ時の下り坂。夕日に染まっていくアルバイシンの丘の景色が素敵です。

 

おまけ雑談

「悲しみの散歩道」

グラナダでは他にも幾つか異名で呼ばれている道があります。例えば「悲しみの散歩道」と呼ばれるトゥリステス通り Paseo de los tristes パセオ・デ・ロス・トゥリステス も正式名称は Paseo del Padre Manjón パセオ・デル・パドレ・マンホン と言います。19世紀のこの道はサビカの丘にある墓地へと向かう葬列が通過地点で、丘に登る手前で多くの人が故人に別れを告げた場所だったことから「悲しみの散歩道」と呼ばれるようになったそうです。道の由来から知る慣わしを頭に描きながら歩くと、散歩も更に情緒が増しますネ!