丘の上のアルハンブラ宮殿へ歩いて行くなら、ゴメレス坂~グラナダスの門~アルハンブラの森を通る道が王道ルート。森林エリアは緑に溢れ、道の脇を流れる水の音や小鳥たちの会話が森の中に響き渡ります。途中、噴水やモニュメントにも遭遇し、城外散策だけでも十分楽しむことができる散策ルートです。アルハンブラ宮殿を一つも見逃したくないという方におススメです!
ゴメレス坂
Cuesta de Gomérez
クエスタ・デ・ゴメレス
街の中心部にある「ヌエバ広場」Plaza Nueva プラサ・ヌエバ に対面した細い道が「ゴメレス坂」の上り起点。この坂道を上っていくと、アルハンブラエリアへと繋がっていきます。 坂の名称となった Gomérez ゴメレス は、北アフリカからこの地に定住した一族の名前なのだそう。坂の両脇にはアラブの土産屋、寄木細工の店、フラメンコのタブラオ、宿泊施設などが並んでいます。かつては職人街と呼ばれた通り道でギター職人が多く集まっていた場所。今でもギターの店が数件あります。エプロンをしたまま、さりげなく奏でる店員さんのギターの音色が更に情緒を醸し出します。ゴメレス坂はお店を見ながらブラブラ散策するだけでも楽しめますヨ。
店先を覗きこんだりしながら坂を上っていくと、正面に「グラナダスの門」が見えてきます。門に隣接する左側の建物は「カルタヘナ侯爵の宮殿」Palacio de los Marqueses de Cartagena パラシオ・デ・ロス・マルケセス・デ・カルタヘナ。バロック様式の玄関を構えたルネッサンス様式の建物で、レコンキスタの最後の戦いで勝利へと導いた軍の指揮官 Domingo Pérez de Herrasti ドミンゴ・ペレス・デ・エラスティ の邸宅でした。16世紀建てられた宮殿は19世紀の改修や復元工事を経て、近い将来は豪華な客室を設けた宿泊施設として生まれ変わるそうです。(あくまでも) 完成予定は2027年頃。
グラナダスの門
Puerta de las Granadas
プエルタ・デ・ラス・グラナダス
Cuesta de Gomérez 37
「グラナダスの門」が建設されたのは16世紀、神聖ローマ皇帝 Carlos V カルロス5世 (スペイン国王カルロス1世) の時代です。設計はイタリアの巨匠ミケランジェロなどの芸術家に師事したスペインを代表する建築家 Pedro Machuca ペドロ・マチュカ 。彫刻された石が浮き出るように見える建築様式が特徴的なスペイン・ルネサンス様式の石造りの門です。
ティンパヌムにはカルロス5世の双頭の鷲の盾形の紋章が。その上部では翼が生えた二体の像が寄り添うように横たわり、カルロス5世がこの地に約束した平和と豊かさを表してるそうです。が、頭はいずこへ...
グラナダは、ザクロの実を意味します。門の頂点を飾る王冠はその街のシンボルザクロ。今日ではこの門の名前の由来ともなりました。ちなみに18世紀頃まではゴメレスの門と呼ばれていたそうです。
「グラナダスの門」は、ナスル王朝時代の城壁に繋がる防御塔の門があった場所に建設され、右側にその遺跡が少しまだ残っています。歴史をより一層身近に感じられますネ。
門には3本の通行用アーチがあり、両側が歩行者用で中央は馬車や騎兵隊用として作られたものです。現在このアーチを通れる車両は観光列車だけとなりました。門を通り抜けると広大な「アルハンブラの森」が現れ、いよいよアルハンブラの敷地内へと入っていきます。
道のりマップと所要時間【ゴメレス坂~グラナダスの門】
Ⓐ ゴメレス坂 Cuesta de Gomérez → Ⓑ グラナダスの門 Puerta de las Granadas (約10分)
アルハンブラの森
Bosque de la Alhambra
ボスケ・デ・ラ・アランブラ
サン・ペドロの森としても知られる「アルハンブラの森」は、緑が豊富に生い茂る森林で、総面積は4.2ヘクタール。ナスル王朝時代は防衛上、要塞からの見晴らしをよくするため現在のような密林の地域ではなかったと考察されています。15世紀にキリスト教徒によるレコンキスタが完了したことで、16世紀頃から植林が始まり、数世紀に渡って森林が拡大していったそうです。
自然の静けさと丘を下る水のせせらぎに耳を澄ましながら遊歩道を歩くと、噴水や由緒あるモニュメントに遭遇します。エノキ、トチノキ、イボタノキ、プラタナス、月桂樹など、様々な樹種を鑑賞でき、特に夏の樹冠は絶好の避暑地に。多くの人々が街の緑地帯であるこの美しい森を散策に訪れます。ランニングしている人も見かけますヨ。
3本の小道選択
アルハンブラの森は3本の小道に分かれ、各々見どころスポットがあります。宮殿の入り口へアクセスするなら...
- 【左の小道】のエンペドラダ坂は、やや急勾配。 裁きの門 → 車両の門 →アクセスパビリオン(メインエントランス)の順に、3カ所のアルハンブラ宮殿の入り口へ到着できます。
- 【中央の小道】はゴメレス坂が続きます。道が舗装されているので勾配はなだらか。メインエントランスのアクセスパビリオンへ到着できます。
- 【右の小道】は途中まではやや急勾配。アルハンブラ宮殿の入り口へは遠回りになります。
※宮殿の入り口へのアクセスは、やや急傾斜ですが【左の小道】が便利です。見学ルートを検討しながら道の選択をするのもおススメ。詳しくはこちらで↓
【左の小道】
城壁の沿道で聳え立つ塔の迫力を体感しながら進む小道。幾つかのモニュメントも鑑賞でき、アルハンブラの情緒たっぷりです。
宮殿の入り口 (3カ所)
- 「裁きの門」Puerta de la Justicia
- 「車両の門」Puera de los Carros
- 「アクセスパビリオン」Pabellón de Acceso
左の小道を進むと 1. 2. 3. の順でアルハンブラ宮殿の入り口に到着できます。ナスル朝宮殿、アルカサバ、カルロス5世宮殿などのエリアは「裁きの門」が一番近くて便利です。
見どころスポット
- 「レアンドロ・デ・パレンシアの十字架」Cruz de Leandro de Palencia
- 「グラナダスの柱」Pilar de las Granadas
- 「ワシントン・アーヴィング像」Escultura de Washington Irving
- 「カルロス5世の柱」Pilar de Carlos V
道のりマップと所要時間
Ⓐ グラナダスの門 Puerta de las Granadas → Ⓑ 裁きの門 Puerta de la Justicia (約10分)
Ⓑ → Ⓒ 車両の門 Puera de los Carros (約5分)
Ⓒ → Ⓓ アクセスパビリオン Pabellón de Acceso (約5分)
※ヌエバ広場~グラナダスの門 (約10分)
散策スタート
レアンドロ・デ・パレンシアの十字架
Cruz de Leandro de Palencia
クルス・デ・レアンドロ・デ・パレンシア
ザクロの門から左の小道に進むとすぐ16世紀に砲兵であった「レアンドロ・デ・パレンシアの十字架」 があります。大工、石工、鍛冶、鋳造などのスキルもつ砲兵が必要とされた時代、レアンドロは鍵や釘を作る鍛冶職でした。
大理石の十字架の上部に刻まれている文字は、イエス磔刑の際、ローマ帝国のユダヤ総督ピラトによる罪状札に書かれたラテン語 Iesus Nazarenvs Rex Ivdaeorvm (ナザレのイエス、ユダヤ人の王) のイニシャル「INRI」。ナザレはイエス・キリストが幼少期から暮らしていたイスラエル北部の街です。
グラナダスの柱
Pilar de las Granadas
ピラール・デ・ラス・グラナダス
現在の「グラナダスの柱」は倒木による崩壊のため19世紀に再建されたものです。赤と白の大理石、シエラ・エルビラ産の石、レンガ等でできています。各家庭に水道がなかった時代にこうした水栓柱が水の供給の場として利用されていました。今でもグラナダの街の至るところに柱があり、待ちゆく人々の喉の渇きを潤しています。ただ、飲み水として利用できるかどうかは場所によって異なりますの気を付けくださいネ。ちなみにここ、グラナダの柱では飲むことができませんのでご注意を!
ワシントン・アーヴィングの彫像
Escultura de Washington Irving
エスクルトゥラ・デ・ワシントン・アーヴィング
更に城壁に沿って進むと アルハンブラ物語 (1832年) の著者として有名な「ワシントン・アーヴィングの彫像」があります。
NY生まれ、ロマン主義時代の作家 ワシントン・アーヴィング (1783-1859) は、アルハンブラ宮殿が世界的に名を馳せるに至るまでのきっかけを作った人物の一人。彫像は没後150周年を記念し、スペインの彫刻家 Julio López Hernández フリオ・ロペス・エルナンデス によって手掛けられたものです。
アルハンブラ物語は、ワシントン・アーヴィングがスペインで外交官をしていた時代に旅行でアルハンブラに滞在し、インスピレーションを受けて執筆したもの。
当時のアルハンブラ宮殿は、16世紀からの度重なる自然災害、18世紀の宮廷離れ、そして19世紀初頭の独立戦争でのフランス軍による爆破などにより、とても廃墟化していましたが、ロマン主義時代の芸術家たちの作品によってアルハンブラが大きく世に知れ渡ることになりました。そんな彼らの偉業が、後のアルハンブラの修復や再建計画に繋がることになったのです。なかでもワシントン・アーヴィングは最も貢献した作家として賞賛されています。
彫像の左手には創作記録のノート、そして足元には「アルハンブラの息子」Hijo de la Alhambra という碑文が刻まれています。グラナダ旅行記と「アルハンブラの息子」の口頭伝承による伝説が盛りだくさんのアルハンブラ物語を読んでから宮殿を訪れると、より一層楽しめますヨ。
カルロス5世の柱
Pilar de Carlos V
ピラール・デ・カルロス・キント
「カルロス5世の柱」はグラナダスの門の建築家と同じ Pedro Machuca ペドロ・マチューカ らによって16世紀に設計され、イタリア出身の Nicolao da Corte ニッコロ・ダ・コート によって建てられたルネサンス様式のモニュメント。騎兵隊の馬などの水飲み場として利用されていたそうです。
その後、17世紀にグラナダ出身の Alonso de Mena アロンソ・デ・メナ による修復工事によって、華麗かつダイナミックなバロック装飾が施されました。水口から流れる水は、グラナダのへニル川、ダロ川、ベイロ川を表し、強面のマスクは夏の麦、春の花や果物、秋の葡萄の装飾が施され、季節を表していると考えられていました。が… 近年の書物では冬がないことや季節の順序が違うこと、また季節のシンボルは強面のオジ様ではなく、女性で表現されることの方が伝統的であること等の点から、マスクは古典演劇に登場する人物のモチーフであるとの新たな見解があります。
柱の裏手には「裁きの門」があり、門の防衛を強化するためにキリスト教徒が建設した大砲要塞がカルロス5世の柱に隣接しています。
裁きの門 (宮殿の入り口)
Puerta de la Justicia
プエルタ・デ・ラ・フスティシア
丘を上って最初に現れる城塞の入り口は、14世紀のナスル王朝のスルタンYusuf I ユースフ1世 (在位:1333-1354) の時代に建てられた防衛機能に優れた城門です。この場所で罪人が裁かれていたという説から「裁きの門」と呼ばれています。
正面アーチ上部にあるイスラム教の五戒律を表す五本指の手が訪問者を歓迎しています。イスラム教やユダヤ教で、手形のモチーフはハムサというお守りとして有名です。イスラム圏では、預言者ムハンマドの娘ファティマの名からファティマの手とも呼ばれます。慈悲深く社会奉仕に尽くしたファティマはイスラム教徒たちの理想の女性像。邪視を追い払ってくれるハムサのアクセサリーは女性に人気です。宝飾店の他、土産屋でもよく売られています。
内側のアーチ上部にはイサベル女王によって設置された聖母像が見えます。聖母像の下には入り口を象徴する鍵が施されています。アーチの手が伸びて、この鍵を握るとき、魔法が解けて隠されていた財宝があらわれるというモーロ伝説も有名です。
防衛機能に優れていた「裁きの門」には、頑丈な鉄の扉、上から侵入者に煮え切った油や石などを投下するための二重のアーチ、また騎兵が容易く侵入ができないように直角に曲がった通路など、様々な工夫がなされていました。
この門を抜けて道なりに進んでいくと、アルカサバ、ナスル朝宮殿、カルロス5世宮殿などのエリアに到着できます。
車両の門 (宮殿の入り口)
Puera de los Carros
プエルタ・デ・ロス・カロス
道なりに歩いて行くと道の分岐点に。左側には17世紀につくられた小さな滝が見えます。その滝を右手に見ながら左の道に沿っていくと「車両の門」があります。この門はカルロス5世宮殿の建設工事のために設けられた唯一車両の通行が可能な城門でした。カルロス5世宮殿、パルタル庭園、パラドールのエリアに近い入り口です。夜間のナスル朝宮殿の見学へはこちらからアクセス。(扉が開いていれば、夜間でも裁きの門からアクセスできます) 徒歩でも通行できます。
アクセスパビリオン (宮殿の入り口)
Pabellón de Acceso
パベジョン・デ・アクセソ
「アクセスパビリオン」は、アルハンブラ宮殿のメインエントランスのエリアです。チケット窓口の他、お土産ショップ、インフォメーション、オーディオガイド貸出所などがあります。ここから入場する場合は、チケットと身分証明書 (パスポートや居住許可証など、チケット購入時に入力した番号と同じもの) の提示が求められます。
※アクセスパビリオンの手前付近にお手洗い&荷物預かり所があります。
【中央の小道】
ゴメレス坂が続く中央の道は、アルハンブラ宮殿のメインエントランス「アクセスパビリオン」に到着します。更に上るとアルハンブラの駐車場、サン・ホセの墓地、イスラム教徒のラ・ラウダ墓地へと続いています。樹冠のトンネルが続く道のりは、様々な樹木や鳥たちと遭遇。舗装されていて緩やかな坂道なので歩きやすいです。途中の広場には、アンダルシアならではの名前の噴水が。一つ目は トマトの噴水、2つ目は ピーマンの噴水です。アンダルシア名物の夏の野菜ジュース、ガスパチョの主役であるトマトとピーマンはいつも一緒というわけです。残念ながら噴水は野菜の形はしてません...
宮殿の入り口 (1カ所)
- 「アクセスパビリオン」Pabellón de Acceso
見どころスポット
- 「ビブランブラの門」Puerta de Bib-Rambla
- 「アンヘル・ガニヴェ像」Escultura de Ángel Ganivet
道のりマップと所要時間
Ⓐ グラナダスの門 Puerta de las Granadas → Ⓑ アクセスパビリオン Pabellón de Acceso (約20分) ※ヌエバ広場~グラナダスの門 (約10分)
散策スタート
ビブランブラの門
Puerta de Bib-Rambla
プエルタ・デ・ビブランブラ
「ビブランブラの門」は元来ビブランブラ広場にあったムスリムたちによって作られた門で、市街地へアクセスするための門でした。壁の一部であった門は、19世紀の都市編成によって解体された後、考古学博物館に保管され、20世紀になってこの場所に再建されました。
この門には異名が幾つかあり、中でも広く知られるのは耳のアーチ。名前の由来は、キリスト教徒たちの時代となってから門には小麦粉用の量りが置かれ、重さをごまかした製粉業者への刑罰として耳が切断されていたことからだそうです...
イギリス出身の画家 David Roberts デヴィッド・ロバーツ の代表作には、解体前のビブランブラの門を描いた作品があります。彼もまたロマン主義時代の芸術家の一人で、彼が残した多くの素晴らしい作品によって19世紀のアルハンブラやグラナダの街の様子を垣間見ることができます。
アンヘル・ガニヴェ像
Escultura de Ángel Ganivet
エスクルトゥラ・デ・アンヘル・ガニヴェ
2つ目の広場にあるトマトの噴水の側には、グラナダ出身の作家であり、先駆者としても有名な Ángel Ganivet アンヘル・ガニヴェ (1865-1898) の彫像があります。彼の死から10周年を経て発案されたモニュメントは、スペインの彫刻家 Juan Cristóbal フアン・クリストバル よって1921年に完成。
作品は口から噴水する雄ヤギ、そのヤギの角を掴む全裸の筋肉質な男性のブロンズ像、そして背後に置かれたアンヘル・ガニヴェの石の胸像で構成され、不合理に対する知性の優位性を表しているそうです。
芸術は個人の美学や解釈の違いによって常に論争が巻き起こりやすいものですが、このモニュメントはグラナダの彫像の中でも特に意見が二極化し、大きな物議を醸しだした作品です。当時、破壊行為や強盗未遂などもあったという紆余曲折の伝説モニュメント。
アンヘル・ガニヴェ像の左側の方には「モンデハル侯爵の十字架」Cruz del Marqués de Mondejar クルス・デル・マルケス・デ・モンデハル が建っています。
更に歩を進め、ピーマンの噴水のある広場を抜けて前進すれば、アルハンブラ宮殿のメインエントランス「アクセスパビリオン」へ到着します。
アクセスパビリオン (宮殿の入り口)
【右の小道】
石畳の階段が右の小道のスタート。右側にアルハンブラ宮殿の創始者 Muhammad I ムハンマド1世 (別名 Ibn al-Ahmar イブン・アル・アフマル) を記念するプレートがあります。 古い監視塔、マヌエル・デ・ファジャ講堂&博物館、庭園など、見どころスポット盛りだくさんの道です。ナスル朝時代にキリスト教徒の捕虜を監禁する地下牢として使用されたサイロや墓地などがあったエリアでもあります。※【右の小道】からアルハンブラ宮殿の入口へアクセスできますが、遠回りになりますので今回は行きません。「レアレホ坂」 Cuesta del Realejo クエスタ・デル・レアレホ からも【右の小道】へアクセスできます。
見どころスポット
- 「ベルメハスの塔」Torres Bermejas トーレス・ベルメハス
- 「マヌエル・デ・ファジャ講堂」Auditorio Manuel de Falla アウディトリオ・マヌエル・ デ・ファジャ
- 「マヌエル・デ・ファジャ邸博物館」Casa Museo Manuel de Falla カサ・ムセオ・マヌエル・デ・ファジャ
- 「カルメン・デ・ロス・マルティレス庭園」Carmen de los Mártires カルメン・デ・ロス・マルティレス
道のりマップと所要時間
Ⓐ グラナダスの門 Puerta de las Granadas → Ⓑ ベルメハスの塔 Torres Bermejas (約5分)
Ⓑ→Ⓒ マヌエル・デ・ファジャ講堂&博物館 Museo y Auditorio Manuel de Falla (約10分)
Ⓒ→Ⓓ カルメン・デ・ロス・マルティレス庭園 Carmen de los Mártires (約5分)
※ヌエバ広場~グラナダスの門 (約10分)
散策スタート
ベルメハスの塔
Torres Bermejas
トーレス・ベルメハス
アル・アンダルスの時代にマウロ―ルの丘 Colina del Mauror コリーナ・デル・マウロ―ル の上に建設された監視塔です。ナスル王朝を樹立した Muhammad I ムハンマド1世 (別名 Ibn al-Ahmar イブン・アル -アマル) の命によって建てられた塔の一部は建設当時より数世紀前の要塞遺跡であるとされ、グラナダで最も古い遺産の一つと言われています。
3つに連なるこの塔は、かつてのユダヤ人居住区であり、現在のレアレホ地区である地域を見守っていました。塔は後にアルハンブラの要塞アルカサバに接続されていたそうです。レコンキスタ後にはキリスト教徒によって砲台の機能などが追加されるなど、改修や拡張工事が継続的に行われていました。監視塔としてだけでなく兵舎、住居、軍事刑務所など、時代によって様々な用途として利用された塔です。現在は閉鎖されており外観だけの見学になります。
マヌエル・デ・ファジャ講堂
Auditorio Manuel de Falla
アウディトリオ・マヌエル・ デ・ファジャ
講堂の名前にもなった人物は、スペインを代表する偉大な作曲家兼音楽家の一人 Manuel de Falla マヌエル・デ・ファジャ 。フラメンコなどアンダルシアの民族主義的な音楽とパリで影響を受けた印象主義的音楽を融合した作品が有名です。バレエ音楽では「恋は魔術師」や「三角帽子」、歌劇では「はかなき人生」などが代表作です。
敷地内にはマヌエル・デ・ファジャの記録資料などを展示している文書センター Archivo Manuel de Falla アルチーボ・マヌエル・デ・ファジャ 、そしてマヌエルの実際の住まいを再現した博物館があります。
【Auditorio Manuel de Falla 公式サイト】 Web: http://www.manueldefalla.org/
マヌエル・デ・ファジャ邸博物館
Casa Museo Manuel de Falla
カサ・ムセオ・マヌエル・デ・ファジャ
Paseo de los Mártires
博物館は「マヌエル・デ・ファジャ講堂」Auditorio Manuel de Falla アウディトリオ・マヌエル・ デ・ファジャ の敷地内にあります。入り口の門から入って案内プレートまで歩いたら矢印の方へ階段を下りると、実際にマヌエル・デ・ファジャが1921年から1939年まで住んでいた カルメン (庭園や果樹園付きのグラナダ風邸宅) の博物館があります。
館内では、家具や絵画が住んでいた当時のように配置された部屋が見学でき、マヌエルの生活習慣や人柄を感じ取ることができます。マヌエル・デ・ファジャのスピリットを感じたい方は是非こちらの記事もどうぞ。↓
カルメン・デ・ロス・マルティレス庭園
Carmen de los Mártires
カルメン・デ・ロス・マルティレス
以上で散策終了です。お疲れさまでした。¡Hasta luego!
P.S. アルハンブラ宮殿へのアクセス方法は他のルートもありますヨ。
宜しければこちらの記事で。↓